人生で一番最高だった年代 第7章

49歳の時HILTIを退社しました。

どうしようかと思って居た矢先

HILTIの時同じ仲間だった人から仕事が

あるので来ないかと言う誘いが有り

次の仕事の予定もなかったので行く事

にしました。その会社は機械製作が

主体の会社だったのが、新規事業部を

立ち上げるので私に福岡県全域を担当

して福岡に営業所を設けてほしい

営業マンは事前に配置するとの事で

私と二人で活動する事になりました

営業内容はバイオ製剤の売り込みで

大手の会社が開発した製品を販売する

仕事でした。このバイオ製剤

が残飯とか油性分分解して

排水に流せるように出来ると言う

うたい文句でラーメン屋、老人ホーム

お菓子屋をテストさせてもらいながら

九州県内に営業を掛けていましたが

半年位してノルマが厳しくなり

結局、新規事業部解散と言う事で

又失職です。木炭特約店募集に

応募して木炭の入った布団を

販売したり、そこも自転車操業で

続かず、半年で辞め求人情報誌で

電話回線の営業を3か月したり

ビル、マンションの管理会社に6か月

産業廃棄物の会社に8か月、行く所

がないのでタクシーに乗ろうと

二種免許を取る為自腹で試験場に行き

47回目で合格タクシー会社に

就職出来たのだけど、収入が少なく

9か月で退社しました。

49歳から51歳位まで

女房が踏ん張ってくれて助かりました

マンションも売る事もなく、しのげました。

ある日、最初に就職したステンレス研磨会社

の時同僚だった友人から声が掛かりました。

彼はステンレス研磨が倒産して、その後

自分でステンレス会社を立ち上げてました

彼から電話が有り、お金を貸すので

ステンレス溶接研磨の工場を作らないか

仕事は回すからと言う誘いが有り喜んで

了承して工場を借り、一人では出来ないので

うちの一人息子に多少無理やり一緒にやらせ

喧嘩しながら仕事をしていました

1年目位の時、息子が仕事に来なくなり

仕事を辞めたいと言い出し退社

職人を募集して一人入ったのだけど

休む事が多く仕事にならずで

一人では何ともならないので友人の社長に

工場を閉鎖する事を申し入れ

私は友人の会社の日雇いと言う事で

仕事を続けてきました。今迄と違い

収入が安定する事は最高の喜びでした

只、未だに悔いが残っているのは

娘二人息子一人に大学に通わせる事が

出来なかった事この事が今でも

子供達に申し訳なかったと言う気持ちが

頭から消えないでいる。子供達は私には

何も言わないが親として頭が上がらないなあ

友人の会社に14年間お世話になって昨年

70歳を迎えるに当たり、退社させてもらった

友人には本当に助けてもらったので

いずれ、恩を返そうと心に誓っている

今現在人生で一番最高の年代が到来したって感じで

後は健康に人生100年時代を生き抜いて

行こうと言う気持ちで一杯です。

有難うって気持ちで一杯です。

私の人生最後って言うような書き方だけど

マダマダこれから誰かの役に立ちつつ

楽しい人生を送りたいと思います

読んで頂き有難うございました



posted by アクティブシニア70 at 10:57Comment(0)日記