喘息を発症して30年(6)

新規事業部を福岡に事務所を設けて

営業マン一人は上司が採用しており

彼と二人での営業活動

何を拡販していくかと言う事ですが

バイオ製剤と言う物を九州地区で

攪拌していくと言う事なのです。最初の

トレーニングとして沖縄での実地営業活動

と言う事で沖縄での10日間の営業活動を開始

したのです。バイオ製剤と言うのは一体どのような

ものなのか?と言いますと微生物を使い

固まった油や汚れを分解させ綺麗にするという

物なのですしかも、それは無害の納豆菌

使用して作り上げたあの大手の

明治製菓が開発したバイオ製剤なのです

これを全国に攪拌して行こうと言うのが

当初狙いなのです

対象顧客としては食べ物を扱うお店が大半です

食べ物を扱っている所は残飯や汚物とか、そのまま

下水に流す事が禁じられているので、一旦

貯水槽のような所へ貯めて、満杯になったら

産業廃棄物業者にお金をだして引き取りに

来てもらうのが一般的な処理の仕方でした

それをこのバイオ製剤を貯水槽に投入する事に

より汚物を微生物力で分解させ下水に流す

事が出来るのです。しかも安く提供できるのです

これがバイオ製剤の売りでした

バイオ製剤も粉と水性、二種類あって

水性は良く歯医者さんへの売り込みに

使用していました。歯医者さんも

お判りだと思いますがウガイをする

排水口に汚れが溜まり流れが悪く

なるようで業者に頼んで

いるようなのです。その排水口に

定期的な排水口に水性を巻く事により

いつでも流れがスムーズになるのです

さて、沖縄でも実地販売ですが、何故沖縄かと

言いますと、このバイオ製剤は温かいと

効果が早いので結果を早く出す為に

又初めての試みなので時期的には6月でした

沖縄は温かいので売れる喜びを営業マンにも

感じてもらいたいと言う思惑も

有ったのでしょう!!

営業活動方針としては

「売って来る迄ホテルに帰れない」

と言う設定で営業活動を致しました

色々な所へ飛び込みを掛けまして

我々は何とか目標を達成したのですが

矢張り、他の地区の者は「売る迄帰れない」

言うやり方に抵抗を感じ、事前での発表も

なく、現地で突然の発表で、話が違うと言う事で

辞めた人も多く出たようでした

そうこうして、沖縄の実地販売トレーニングが

終了、いよいよ福岡での営業活動です

本社から事前に電話活動をしていた九州地区の

見込み客リストを頂き、現地に出向いて

営業活動を掛けるのですが当初はスンナリと

売り上げも好調に出ていました

しかし、長続きはしませんでした!!

最初は珍しさも有って、又明治製菓が出したと

言う事も有り、順調に推移していたのですが

矢張りお客が使った後の成果が中々ハッキリ

出てこないのでリピート注文が少なくなって

きたのです。1年位営業活動をしたでしょうか?

ある日の夕方上司から突然連絡が有り

福岡を閉鎖する事になったとの連絡で

我々は解雇になってしまいました

営業マンと私は失業です

マタマタ喘息の発作が時々出るようになり

けれども、妻子を養う為に何としても

次の仕事を見つけないといけないと

職安に入って探しました

その後何年間でしょうか?

外資系を辞めて8件位職を点々と

替わる事になっていきました

タクシーにも半年位乗りましたかねえ

いつまで続くんだろうか?俺の地獄は

って思いながら、それでも前に進むしか

有りませんので!!自分ながら一生懸命に

前に進んでいましたら、有難い事に

救いの手が私に手を差し伸べてくれたのです

ここで学びました。一生懸命にやって行けば

何とかなるんだなああって

この時から、どんな苦境でも一生懸命が

頭から離れなくなりました!!

私に救いの手を差し伸べてくれたのは

私の古い友人です。私が19歳の時

同じ会社で一緒に仕事してた友人です

彼は一緒に働いていた会社が倒産し

自分で事業を起こしていて外資系の時に

時間が出たら彼の仕事の手伝いをして

交流はどっと有ったのですが

その友人が、うちが仕事をお前に出すので

地元に工場を構えてやらないかって言う

誘いでした

この続きは次回にしましょう!!










posted by アクティブシニア70 at 13:23Comment(0)健康

喘息を発症してからの30年(5)

旋風満帆でやって来た私もある日を境に

傾斜に向かって行きます


社長が交代した為の組織編成です

今迄の本部制がなくなりました

業種別の編成に組織が替わったのです

詰り、電気工事、水道工事、看板

防水業者がA建設、施工、設計他B

と言う風に営業マンも分けられ、部門長

も変更されたと言う訳で中部営業本部も

無くなったと言う事です

業種別のトップが付き、その下に部門長

と言う形、社長1名副社長2名部門長3名

と言う組織編成になったわけです

営業マン、エリアマネージャー

リージョンマネージャア、バイスプレジデント

プレジデントと言う事です

以前は営業マン、営業所長、本部長、副社長、社長

このような組織ですね

だから私はリージョンマネージャアって役割です

担当部署も増え部下も増えたのですが

問題は目標金額の大幅なアップ!!

我が外資系の営業活動はと言うと

営業マンは直行直帰と言うシステムで

自宅から、自分の担当地区に営業活動を掛け

出来るだけ納品作業は大阪の倉庫から

顧客へ直送、営業の主役割は営業活動に集中

営業マンと同行サポート教育

エリアマネージャーとの打ち合わせ

待ち合わせは、最寄りの駅とか宿泊している

ホテルに迎えに来てもらいながら活動して

おりましたので、殆ど出張の連続です

そして毎月一回本社でも営業会議

売り上げ達成の時は気分が良いのですが未達の時

苦になっていました。未達が続けば続くほど


今迄は売上が足らなかった場合は馴染みのある

営業所の所長に不足分の強引にお願いしていたが

それで何とか目標達成にこぎ着けて来てたのだけど

今回はバラバラになってしまった為

今迄のようにはいきません!!

営業マン一人に対して売り上げ目標があるのは

当たり前だけど、もし営業マンが退社した場合は

オープンテリトリーになって誰もカバーする人が

いなく、自ずと売り上げが減収する

と当然も目標未達になって来る

部門長の役割は人材育成、面接、同行教育指導

なので空きテリトリーが多くなると最悪!!

何故売り上げが挙がらないのかあから始まり

最終的に指導が悪いのではないかと言う事を言われ

半年位続いた目標未達である日の事でした

この期間は精神的にも落ち込み喘息発作が度々

起こるようになり、気管支拡張剤も余り効果が

なくなり、病院で点滴を受ける回数も増えて

最悪の状態になって言ったのです

副社長から話があると言う事で本社に呼ばれ

突きつけられたのはリストラ要件でした

倉庫の担当になるか方法

営業マンに戻る方法

退社する方法

この3点から選んでもらいたいと言う事

告げられたのです!!

頭の中が真っ白になり、茫然として

明日返事しますっと言って出直しました

結論は退社と言う事で決着をつけたのです

外資系勤務23年間49歳の時でした

次の仕事を見つけねばなりません!!

ある人の、つてで新規事業部を作りたいので

事務所と営業マンを採用して立ち上げて

くれないかと言う依頼が有り、渡りに船です

浜松時代を思い出しながら

淡々と行動に移していったのです

ここまでにしておきましょう

続きは次回に


posted by アクティブシニア70 at 09:56Comment(0)健康

喘息を発症して30年の今(4)

素直な若い彼等のモチベーションを保ちながら

若い子の中で最初に選んだムードメーカー

この子は営業的にも常に三人の中で一番

要するに大佐なんです。よって営業会議

の進行は常にこの子が担っていました

この子も私と同様に喜怒哀楽が激しく

直ぐ顔に出るタイプ

ミーティングをしていても気が乗らないと

よそを向いている!!その時は、ジョークを

飛ばして、こちらに意識を戻してもらったり

三人の中でこの子とは本気で

言い争いをしました!!

後の子は言われたら反論が出来ないタイプ

又、反論しようものなら私からの

雷が落ちますから

しかし、ムードメーカーの彼

S君としましょう

私の雷を何とも思わないで向かってきます

強烈に今でも思い出すのは、こう言う事が

有りました。私は既に自宅に帰っていて

夜、9時位だったですかねえ

S君と仕事の事で話していると

何か私にムカつく

事を言ったので、カアっときて

今から行くから、そこで待っとけええって

車をぶっ飛ばして事務所に着くなり

何をゆっとるんじゃあ!!

10年早いわああって怒鳴りこんだのです

残りの二人がシューンとしていましたが

仕事の事での喧嘩ですから上司とか部下とか

関係ないのです。お互いが本気の喧嘩です

でも、ひとしきりお互いが、言いやって

終わったらスッキリ!!後は普通通り

S君とはこの後も何回も起こりましたねえ

しかし、S君の営業成績は常に上位

そりゃあ、そうですよねえ!!

考えて見てください。成績が悪いのに

私に立てつく事は一般的な常識のある子は

立てつきません!!S君なりの私との喧嘩は

自分のモチベーションを上げる方策なのです

可愛いじゃあないですか?

このS君はその後浜松営業所のリーダーに

なっていったのです

私はどうなったかですって?

その当時名古屋地区に中部営業本部が有り

その中にで名古屋中央営業所、名古屋東営業所

岡崎営業所、浜松営業所、この4営業を

取りまとめていた部署が中部営業本部なのです

その営業本部のヘッドになってしまったのです

イケイケドンドンしかない私がいつの間にか

この外資系の会社は数字さえ上がっていれば

と言う所がとても強く、理屈抜きで

売り上げさえ良かったならば

アイツは能力があると思うのです

こっちは良い思いをさせて頂きましたが

兎に角アメリカ人の社長は常に人参を

持って入るんです。詰り我々が馬なのです

君たちお金は欲しくないのかねえ?

これを達成したならば、これをあげよう

これもあげよう!!と言う訳で

私も良ーしやろうじゃないかって

常に人参を食べに行きましたよ

お陰様で人参を沢山頂きました

我々は海外研修旅行が多いのですが

ヨーロッパ、アメリカ、ハワイ

シンガポール、オーストラリア

喘息の話を置き去りにしていましたが

調子の良い時は精神的にも安定して

居りますので喘息は出ません

けれども気管支拡張剤は常に

持ち歩いております

そんな事で3.4年位楽しい年月を

過ごさせて頂きました


しかし、外資系会社の宿命です

良い時は、そう長くは続かないのです!!

この外資系の社長が替わってしまったのです

組織編成が始まりました


続きは次回にします




posted by アクティブシニア70 at 10:17Comment(0)健康